書道を35年続けていると、「なぜ続けているのか」を聞かれることがあります。
うまく説明できないときもありますが、実感として残っている3つのことがあります。「無」になれる時間、墨を磨る香り、字にイメージを乗せる楽しさ。これは技術の話ではなく、書道を続けることで気づいたことです。
「無」になれる。仕事の続きを忘れられる時間
仕事帰りに筆を持つと、不思議と頭が切り替わります。
一画一画に集中していると、今日の仕事で気になっていたことや、明日の段取りが頭から消えていきます。書道は「今、この紙に向き合う」しかできない作業なので、他のことを考える余地がなくなるのだと思います。
スマホもパソコンも、やろうと思えばいくつものことを同時にできます。でも筆を持っているときは、一枚の紙だけです。この「一つのことに集中するしかない」という状況が、私にとって仕事の切り替えスイッチになっています。
墨を磨る時間。香りが立ち上がるあの感覚
墨汁も便利で使いますが、固形墨を磨るときの感覚は別物です。
硯に少量の水を垂らして、固形墨をゆっくり動かす。しばらくすると、墨独特の香りがふわっと立ち上がってきます。この香りが、「これから書くぞ」という気持ちを整えてくれます。
墨を磨る時間は、準備であると同時に、これから向き合う一枚の紙に気持ちを向けるための時間でもあります。省こうと思えば省けますが、省いてしまうと何かが足りない感じがする。続けていると、この時間の意味がわかってきます。
字にイメージを乗せる楽しさ
書道の面白さの一つは、同じ文字でも書き手のイメージによって線が変わることです。
たとえば「水」という一文字を書くとき。「川上から透明な水がさらさら流れている」をイメージして書くのと、「雨上がりの濁流が土色の水を運ぶ力強さ」をイメージして書くのとでは、線の質が変わります。
最初は「そんなに変わるものか」と思っていました。でも続けていると、頭の中のイメージが筆先に伝わる感覚が出てきます。自分の感性を字に乗せる——これが書道の醍醐味だと実感しています。
35年やっていても、「今日はうまく乗せられた」「今日はダメだった」という日があります。その繰り返しが、続けていられる理由の一つです。

