2026年1月。私は新しい現場に降り立った。
担当するのは、大学や企業の研究所で使われる計算サーバーの運用サポート。 「PBS Professional」という、膨大な計算リソースを管理するミドルウェアの技術支援だ。 いわば、日本の最先端の研究がスムーズに回るように裏側で糸を引く、「HPC界の交通整理係」である。
「このジョブ、いつ終わるの?」「キューが詰まった!」 そんな研究者たちの切実な叫びに答え、数千台のCPUが火を吹くような世界で、コンマ数秒のレスポンスを求めてログを追う。 まさに、バックエンド・エンジニアとしての冥利に尽きるスピード感の中に私はいた。
……そんな「爆速の世界」に身を置く私に、一通の封筒が届く。
送り主は、確定拠出年金のデータを管理する日本レコード・キング・ネットワーク株式会社(NRK) 前職の資産を、今のiDeCo口座に統合(マイグレーション)せよという案内だ。 インフラ屋として、データの分散は放置できない。 「よし、さっさとマージしてしまおう」と書類を広げた私を待っていたのは、驚愕の仕様だった。
「処理完了まで、三ヶ月ほどかかります」
三ヶ月。 300ミリ秒の間違いではない。90日だ。 PBS Proなら、そんなに長くキューに溜まっていたらジョブは「腐って」消滅しているレベルの待ち時間だ。
おそらく私のデータは今、どこかのアナログなサーバーで、月に一度しか回らない巨大なバッチ処理の順番待ちをしているのだろう。 最新のスパコンを支えている私のデスクの横で、年金のデータだけは「飛脚」が運んでいるような感覚。 この「行政システムのクロック周波数」の低さは、もはや芸術的ですらある。
焦っても、バッチの実行サイクルは早まらない。 私はそっと、安くて美味いチリ産の赤ワインを開けることにした。 そして、35年向き合ってきた書道の筆を執り、半紙に今の心境をぶつけてみる。
「ジョブは秒 年金移管 三月(みつき)待ち」
一瞬で宇宙の謎を解き明かそうとする計算機をサポートしながら、自分の資産が届くのを季節をまたいで待つ。 この、あまりにも極端なハイテクとローテクのコントラスト。
三ヶ月後、無事にデータが着信したハガキが届く頃には、仕事のトラブルシュートも少しは速くなっているだろうか。 今はただ、ワインを片手に、このゆったりとした「超低速バッチ」が流れるのを眺めていることにする。

